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スズメとカラス

スズメとカラスに私は遊ばれている。朝スズメが窓柵に停まり、首を振りながら、餌を探して「チュン」と啼き催促をする。仏様にあげた御飯を窓辺においたのがきっかけである。至近距離でカメラを向けると「チッ」と鋭く啼いて逃げてしまうので写真は撮れない。後ろを向いて鳴き声だけを聞いていると「チチチュ」「チチ」「チュチュン」と啄ばみながら楽しそうである。カラスは体重の分だけ重くバサッと降りてくる。「チィ」とスズメは逃げてカラスが飛び去るのを待つ。そして又「チチ、チッチュ」と寄ってくる。いつも4~6羽で親子かも知れない。

昔秋田赤十字病院の公舎に住んでいた時のことであった。子犬を頂き、コロコロして可愛い仕草から「コロ」と名付けた。雑種の柴犬である。その住宅の近辺に中くらいの熊の形をした白い大きな犬が歩いていた。恐らく野良犬のようであるがいつも堂々と歩いていた。あるとき生垣を破いて入ってきた。コロに与えた餌であったが、その大きな犬が入ってくると、コロはお座りをする。自分の食事を全部食べられても大人しくお座りを続けていた。生垣を繕っても又破いて入ってくる。スズメとカラスの所作を見ている中にコロと白犬の光景を思い出してしまった。秋田はつつじが彩よく咲き揃い、新緑の木々に映えて美しい。  


   
今年は水田の水が不足し田植に支障を来した農家の方々もおられた様子で異変でなければ良いがと願う日である。

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ホウレン草とラディッシュ

カメラを忘れて行ったので帰って来てから写真を撮ったが、畑作にもプロの作品に見入ってしまった。晴天の空のもと整然と植えられたホウレン草は子供の頃見ていた農家の畑で丹精こめて作られた本物のホウレン草を思い出させた。恩師は今も現役で働き、衰えを知らない鋭い判断と日々の実践は、まさにアンチエイジングのお手本のような方であられる。「ホウレン草は余り茹でないで、ラディシュは少し塩をまぶせば美味しいかも」と温和に話されながら採って下さった。ニラとパセリは自分の庭に植えているが、その他は店頭の物を買うしかなかったので、大事に育てられた贈り物は私にとっては最高の喜びでした。食物の抗酸化力を知るにつけ、今年はトマトを1~2本、ナスを1本、胡瓜2本を植えようかと考えていたところでもあった。昨年はトウモロコシを2本植えたが実のみならず茎をカラスが突き倒れてしまい、アウトであった。枝豆は土が合うらしく、おいしく出来上がった。スイカは2個収穫され美味しかったが、1個はカラスに突かれダメになった。最近見たことがない昔ながらのホウレン草を手にして感激した。


    地上から見上げる虹は半円を描き、「あっ、虹!」と七色の空の橋に子供らしい夢を持たせる。飛行機の窓からは様々に変化した「虹」が見られる。空の微妙な変化は私の心に淀むものを一瞬忘れさせてくれる。日常生活の全ての所作を忘れては大変ですが、しかし大抵の人にとって、一瞬でも心の憂さを忘れることは必要であり、大切な瞬間の幸せ、その回数が多いほど豊かな気分が蓄積されると思いませんか。


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  当院に沿う道は秋田城址・護国神社へ通じる裏参道と言われる。今の季節は桜並木の高清水公園観桜会の飾り門と観桜会を祝う明かりを灯したボンボリが電線の下に平行してぶら下がり、ボンボリの飾りがヒラヒラと風に舞う筈であったが、辛うじて残っている一本の桜の木には電線が絡み、いつの間にか桜の木は無くなり、坂の上に古木の桜が、その跡を偲ばせるだけとなった。飾り門が消え、ボンボリも今年から無くなった。
残された桜はけな気に満開になった。
雪国秋田では、いかにも雪解けを待つように草も花も矢継ぎ早に芽吹き咲く。  

 

まずバッケ(蕗の薹)が枯れ草に黄緑の頭をもたげ咲く。バッケ味噌・てんぷらとほろ苦い味で春を味わわせてくれる。

 


梅・水仙・連魚の花・・・が一時に咲いて雪の季節のトンネルを通り、俄かに彩り豊かな、まさに春の到来である。

 


  晴れの暖かい陽射しの窓から飛行機雲がよく見えた。子供の頃飛行機雲は不幸を招くから見ない方がいいという迷信により顔を両手で覆ったことを思いだした。今飛ぶは秋田から札幌に向かうものと思われた。
こんな最中に私たちスタッフは懸命に美への研修とトレーニングを積む。いかに医療として安全に、確かに、満足に・・・と。
    
桜はヒラヒラと舞い、地面にふわりと散る。集まった花びらは集まってクッションのよう。 あんなに楽しみにしていた開花がちょっとの間に葉桜に、そして木々も若葉で明るくなった。男鹿半島入道崎の海は曇り模様であったが雲間からの光を穏やかな海に輝かせていた。枯れ葉の間に咲く緑の草とタンポポは童の心に帰らせてくれる。自然とは侵し難く、そして尊い広さを感じさせてくれる。時々風が強くなって、フウーと深呼吸をして、空を見上げた瞬間に帽子が飛んでしまいました。     

 

  

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「こけし」に思う

秋田は過疎地帯であり「市」とは言うものの「都市」という趣はない。少子化対策に力を注いでいるにも拘わらず良い成績は得られていない。出産数は妊婦検診無料券配布数とは並行しない。産婦人科の医師が少ないと取り沙汰されているが
分娩に携わる産婦人科医師と異常出産のときに協力して下さる小児科医師が不足しているのである。母と胎児の二つの命は重く、医師及びスタッフは大きな危険を背負い、分秒単位で変化する出産に対応する。産婦に不安を与えないようにしながらも医師にとっては気を許すことの出来ない緊張と責任があった。
無事に出産を終えるとそれは、それは本当にほっとする瞬間と喜びを味わう。誰にも解らない「生死のきわどい狭間」を切り抜けた一先ずの安堵を覚える。一先ずというのは分娩後の母と子はこの後、また分時単位にどんな変化を起こすか解らないからである。今私は分娩を扱っていないが入院病院が少なくなり戸惑っている妊婦を検診しながら、現状では全く難しく出来ない状態ではありますが、気持ちでは再び分娩に立会いたいものと思います。それ程確かに分娩出来る医院は減ってしまいました。
  このコケシは昭和56年9月に出生した男の子の県南湯沢にお住まいのおじい様が私にお贈り下さった作品です。頭部は伝統こけし、木地山こけしを思わせる模様を変化させており、胴体模様は木地山こけしの一般的なものとは少し違うような感じがしますが、その母体の木の彫り方はまさしく木地山系でしょう。生まれてくる孫の出生無事に思いを馳せながら心を込めて、伝統を守りながらも御自身の独創性を加え、理想的に仕上げて下さった思いが伝わって来ます。優しく暖かい雰囲気を感じませんか。
 伝統こけしを見る度に思うのですが、女の子ばかりではありません?
創作こけしには男女ありますが。  子供の頃言われました。「おめ、おぼこだなぁ」(あなた、こどもだなぁ)、「ぼっこ、あのなべっこ、とってけれ」(あなた、あの鍋、とってちょうだい)、ぼっこ=子供を呼ぶときの愛称
こけしと言う言葉に統一される前は地方により、ぽっこ、おぼこ、・・・と様々な方言で呼ばれていたらしい。
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福禄寿

雪を被りながら咲いていた山茶花も春の陽を受けるようになった。そして昨秋植えたチューリップの球根の芽は葉を伸ばしつつあった。ブヨ?と思った虫が手に泊まった。雪消し虫と呼ぶらしい。消えて行く雪の上を飛び、その虫が飛ぶと雪が消えるという。春を呼ぶ虫の一つ。  
 
 研究会があり帰りの飛行機には時間があり羽田で夕食を摂った。遺伝子検査の結果では食べたものは素直に肥満に繋がる体質を持つのであるから一食抜いた方が良いかも・・・と思いつつ、半ばメタボリックシンドロームを心配し、元気の元と言い訳しながら、食べる誘惑に負けてしまう。御馳走になっている最中、11人の老若男女の一群が私と少し離れた席に座られた。4世代の方達が長老から若い世代へと秩序を保って座っておられる。何気なく眼に入った光景であったが「福禄寿」の言葉が頭に閃いた。福=幸福:善い人間関係、禄=封禄:財産、寿=長寿を意味するそうですが、福寿は間違いなさそうだし、禄は知る由もないものの皆で楽しく会食することが出来るのだからと。一人で食べていた私も仲間入りしたような、お裾分けの嬉しさを覚えた。

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春の訪れ


 遊びに行く目的で旅行することは殆どないが必要な研修会には出かけていくので「旅慣れた人」と事情を知らない人には受け止めえられている。しかし私に必要な会が多くは東京にあり、そこまでは何とか行けるだけの話である。同じ手段で同じ所へ行き帰ってくるという単純な繰り返しであるが故に、いかにも旅慣れているように見えるだけだった。思えば秋田県内ばかりでなく秋田市内でさえ、必要に迫られれば其処へ行き帰って来るだけなので、知っているところは極僅かでしかありません。束の間に眺める窓外、空の変化に季節の移ろいを感じながら、あっという間に過ぎた日々を邂逅する。いつもこうして来たのだなあと思いつつ、形を変えて動く雲の流れを追う。

   

 今年も残雪の候にひな祭りを終え、今は春らしい景色に変わってきた。寒く、暗く、雪に押しつぶされそうな冬からの開放であり、冬の厳しさを知らない方達には味わうことの出来ない、何よりもほっとする季節なのです。明るい日差し、まだ冷たくも頬を撫でる風に春の囁きを感じ花咲く日々を期待する望みが湧いて参ります。枯れ草の間にバッケ(蕗のとう)や他の雑草の緑色の芽が咲き始めて、春を告げていますし、こころなしか桜の芽は硬いながら幾らか膨らみを感じさせてくれます。「春よこい、春よこい・・・」童謡が聞こえてきそうな最近です。

 

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春を誘う雪

 

今度は晴れる!という希望を持たせながら、吹雪く。今朝もまさに風強く車の視界が遮られる横殴りの湿りある雪が積もる。職員も除雪車による除雪された道路の下がツルツルで「今年一番の怖さでした」という。日本海を眺め、寒風山を仰ぐ男鹿から秋田市内に通じる海沿いの道路はスリップし易く事故の件数も多い。「無事に着いて良かった、帰りも無事で」と思う。

 

院内では新しい人達の技術トレーニングが行われています。しっかりした技術の基に安心した施療を受けて欲しいと願いつつ。
それぞれの方の体質や気質に合わせて行われる多方面からの施療(リハビリ・リフレシュ・アンチエイジングトリートメント・・・)を是非、お試し頂きたいとお勧めします。
又年齢と共に主に女性は骨盤底筋の衰えや歪みを生じます。そうすると諸症状が現れて参ります。骨盤底の筋肉を鍛えて衰えや歪みを正しながら頻尿・尿失禁を緩解するトレーナーが導入されていますので御活用なさって下さい。副効果として大腿筋肉の引き締めの作用もあるのが実感され  ます。一石二鳥の効果です。

 

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木魚

 

我が家にも初めて鐘、木鐘と共に木(杢)魚が置かれた。今まで身近に木魚をみたことはなかった。木魚は一種のスリットドラムと言われるように、「ぽくぽくぽく・・・」と良い音がする。しかし仏には精進料理を供えるのに「何故魚の形をしているの?」
大きな眼を開けて・・・、昼夜眼を開いていることに意味があるらしい。修行に居眠りは禁物、修行の象徴であり、叩くことで煩悩を吐き出させる意味もあるという。それにしても「響孔」といわれる開口部から刳りぬき良い音が出るように中を空洞にする技は、やはり匠の技と思う。
何時か昔、お寺の大鐘を打つのは此の世の「百八煩悩」を払う意味があると聞いたことを思い出した。煩悩なき世界でありたいと思う。
あなたの平穏とは? 何でしょう。
あなたのメンタルな悩みを受け止め、良い方向にあなたが歩めるようにサポートしておりますけれども、歩く主役は「あなた」、そして私たち医師・スタッフ一同は脇役です。諦めることなく、自分を見失わないように、浮き沈みは人生の常です。「あなた」「当院スタッフ」と手を取り合い、気付かぬ罪を探し、一皮ずつ闇を脱ぎながら明るい道を歩けるようにしてみませんか。「女三人寄れば姦し」と言いますが、反面「三人寄れば文殊の智恵」という有難い言葉もあります。お互い「文殊の智恵」をお借りして一人悩まず、共に相談しあいましょう。

 

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ある日

  

 

窓を開けると、夜明けの爽やかな空気が流れ込み、汗ばんだ顔に快い。児の娩出までは良かったものの出血があって緊張した。それも、どうやら落ち着いてみると眠気も何処へやら、深く吸い込む朝の空気は殊のほかうまいと思う。そして今生まれた此の子は、私と同じ誕生日に生まれた此の女の子は、大きくなった時どんな風に変わって成長し何を職業とする人になるのかしらと思いめぐらす。いずれ健やかに幸せになってくれたらいいと思う。

今日の日に 生まれ
今日の日に 生き

明日の日に 生き
明日の日に 育つ

この子らは。

と思いながら、まだ水っぽい赤ん坊のベビーコットを覗き込む。
 朝風にゆさりゆさりと揺らぐ大きなニセアカシアの木のてっぺんに早や照り始めた強い陽射しは、暑く気怠い一日を思わせる。まだ建物の陰になっている松のモスグリーン色の新葉が、さやさやと小刻みに動いて美しい。窓下のてっぽう百合も今年は沢山の蕾みをつけて、もう花開くばかりにふくらんでいる。あたりは、まだ寝静まっていて郭公の啼く声が遠くに聞こえ、その合間に近頃では珍しい鶏の鳴き声が、やはり遠くに聞こえる。お産を終え朝食を整えるまでの一時、目覚ましのつもりが、いつのまにか癖になってしまったコーヒーを飲む。ふと20年前の私を想う。今秋田の片隅でこうしているであろう私を決して想像だにしなかった頃の私を無精に懐かしく思う。そしてその頃の方達を懐かしむ。過ぎ去りし日々の速さをつくづくと思う。品川教授御開講20周年の報を受けて、余りにも速く過ぎた20年の重みに今更のようにびっくりしたことを思う。私は無為に過ごしたような気もするし、精一杯に過ごしたような気もする。

たしかに時は流れて
ただ、ひたすらに蠢く
ちょっとでも止まったら
もう、それっきりのように

たしかに時は流れて
ただ、深く静まる
ちょっとでも動いたら
もう、それっきりのように。

 子供達が起き出して、にわかにざわめく。さあ朝食の準備をして二人の弁当を作らなければ、と思う。
 朝早々に起こされた日は、どういうわけか昼も忙しい。外来診療もどうやら無事に終えるとひどく疲れて、ふっと眠くなる。夢かしらと思う。朦朧とした目の前に濃いローズ色と淡いピンク色のバラの大きな花束を抱えて職員達が並んで立っている。おめでとうございますと云いながら楽しそうに笑いながら立っている。夢ではない。さまざまな言葉を綴った手紙もついている。嬉しい。涙が溢れてくる。あゝ今日は私の誕生日だったとまた思う。ふくいくとバラは薫り、心優しい幸せに深深と酔いしれる。

  このバラの花を
  あなたは、単に赤いバラと思うかしら?
  このバラの花を
  あなたは、単にピンクのバラと思うかしら?

  このバラの花の囁きが
  あなたに聞こえるかしら
  このバラのため息を
  あなたは感じるかしら

  このバラの香りの、ほんとうの香りが
  あなたに分かるかしら。

思わず、皆ありがとう! とつぶやく。声にならない声でつぶやく。
 朝の青空も夕方には、どんよりと曇り始める。むしむしとして一雨欲しい。どんなことになっても輸血だけはしないで下さいという患者の置いて行ったパンフレットと小冊子を読む。宗教上の理由から輸血は受けられないし、そのために生命が絶たれようとも、それは自分自身に責任があるという一筆が書いてある。そのパンフレットと小冊子を読んではみたものの、咄嗟の場合そう出来る程冷静にして居れるものかしらと不安にもなる。
 とうとう降り始めた。雨は私の不安を洗い落とすように隣家の屋根に勢いよく降っては流れて軒端から音高く滝のように落ちる。激しく降る雨音に周囲のざわめきが消えて、一人ぽっちのような錯覚をおぼえる。
 ひと時が過ぎて嘘のように雨は止み、子等が帰って来た。ラグビーのジャージィーに着替えてすぐまた出て行く。この雨のあと泥にまみれて帰ってくるに違いない。ラグビーはやっていても、二人共口数の少ない遠慮がちな大人しすぎる男の子等である。
 今日は小さな小さな私の世界の小さな或る日のことのおたよりをしたつもりです。
                                 (S 53年7月)
    弘前大学医学部産科婦人科学教室 同窓会誌 第26号 1978年10月発行

 

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ぼく

羽田空港から東京デズニーランド行きのリムジンバスには他のバスとは違うウキウキ楽しそうな親子連れの姿が見られ、嬉しさが伝わってくる。
時代の違いで楽しむ規模が変わり、昔は夢のような距離が今はちょっと行く所に変化した。昔のちょっとした休日の楽しみを弘前大学医学部産科婦人科学教室で1966年2月発行同窓会誌代13号(P44)から偲んでみたい。
題名:「ぼく」
1歳7ヶ月の僕は、あれこれ片言を云っては手を差しのべたり、だだをこねたり、全身で何かを要求する。近所に友達もなく、昼はおじいちゃんと二人きりなので、一人遊びだけは上手になった。
夜帰ると大抵は眠い眼をこすりながら起きている。9時を過ぎても、まず一緒に一遊びしてあげないと眠らない。男の子の例に漏れず、動物や乗り物が大好きだから、私は兎になったり、馬になったり、犬や猫やライオンや鳥になったり、時には汽車になったり、飛行機になったり、めまぐるしく七変八変しながら遊ぶ。
疲れた時は、そのままぐっすり眠り込んでしまいたいけれど、何時間も待ち侘びていた気持ちを思うと、やはり少しでも良いから、一緒にとんだり跳ねたり、童謡を歌いながら遊戯をしたりする。すると「うまい、うまい」と手を叩いたり、あたかも、子猫が物陰に隠れてはじりじりと忍び寄ってサッとじゃれるように、襖や柱の陰に隠れて、ヒョイと飛び出して、私にぶつかっては、喜び大きな声を出して笑う。少し満足してやがて我慢のならない眠りの捕り子になってしまう。
そんな毎日を過ごす僕にとって日曜日は貴重である。又、そういう日々を送らせている母にとってもそれはかけがえのない大切な日である。日直を当直に変えていただいたのもそのためと言ってもよく、二兎を追う物の、せめてもの、はかない足掻きでもある。
今日の日曜日は、友達の沢山いるデパートのドリームランドへ出かけた。豆汽車がすっかり気に入り、九回も券を買わされた。恐らくこのデパートの豆汽車連続乗車記録だろう。その証拠にびっくりして眼を丸くした係りのお姉さんから特別に一回の無賃サービスを受けた。
       
雨が降っても吹雪いても、大好きな外。幸い今日は吹き続けた雪もおさまって晴れ間が見える。近所の校庭で遊ぶ。
外で遊ぶのは 僕の憧れ
ポッポの汽車が通る
赤いバスが走る
大きなダンプカーが唸りを立てる

明るい日は 僕の喜び
吹き狂う雪は鎮まり
やっと雪に立つ黄色い帽子
青い空に吸い込まれた鳩に、溢れ出る歓声を送り
雪だらけの子犬に、嬉々として戯れ、転ぶ

暖かい日は 僕の楽しみ
つららの雫がチカチカと輝き せわしくおしゃべりをする
梢に残る木の実がブランコしながら、光の子の歌を口ずさむ

優しい光は 僕の幸せ
ピョンと跳ぶ小さい白靴
その跡により添う光は
雪に丸い模様を刻み
驚き、そっと摘み上げる柔らかい指先を包む愛のほゝ笑み

めぐり来る春は 僕の希い
タンポポが開き クローバーの花が咲く
花の香りに抱かれて三輪車に乗れる日は
そよ風が健やかなれと頬ずりする