
窓を開けると、夜明けの爽やかな空気が流れ込み、汗ばんだ顔に快い。児の娩出までは良かったものの出血があって緊張した。それも、どうやら落ち着いてみると眠気も何処へやら、深く吸い込む朝の空気は殊のほかうまいと思う。そして今生まれた此の子は、私と同じ誕生日に生まれた此の女の子は、大きくなった時どんな風に変わって成長し何を職業とする人になるのかしらと思いめぐらす。いずれ健やかに幸せになってくれたらいいと思う。
今日の日に 生まれ
今日の日に 生き
明日の日に 生き
明日の日に 育つ
この子らは。
と思いながら、まだ水っぽい赤ん坊のベビーコットを覗き込む。
朝風にゆさりゆさりと揺らぐ大きなニセアカシアの木のてっぺんに早や照り始めた強い陽射しは、暑く気怠い一日を思わせる。まだ建物の陰になっている松のモスグリーン色の新葉が、さやさやと小刻みに動いて美しい。窓下のてっぽう百合も今年は沢山の蕾みをつけて、もう花開くばかりにふくらんでいる。あたりは、まだ寝静まっていて郭公の啼く声が遠くに聞こえ、その合間に近頃では珍しい鶏の鳴き声が、やはり遠くに聞こえる。お産を終え朝食を整えるまでの一時、目覚ましのつもりが、いつのまにか癖になってしまったコーヒーを飲む。ふと20年前の私を想う。今秋田の片隅でこうしているであろう私を決して想像だにしなかった頃の私を無精に懐かしく思う。そしてその頃の方達を懐かしむ。過ぎ去りし日々の速さをつくづくと思う。品川教授御開講20周年の報を受けて、余りにも速く過ぎた20年の重みに今更のようにびっくりしたことを思う。私は無為に過ごしたような気もするし、精一杯に過ごしたような気もする。
たしかに時は流れて
ただ、ひたすらに蠢く
ちょっとでも止まったら
もう、それっきりのように
たしかに時は流れて
ただ、深く静まる
ちょっとでも動いたら
もう、それっきりのように。
子供達が起き出して、にわかにざわめく。さあ朝食の準備をして二人の弁当を作らなければ、と思う。
朝早々に起こされた日は、どういうわけか昼も忙しい。外来診療もどうやら無事に終えるとひどく疲れて、ふっと眠くなる。夢かしらと思う。朦朧とした目の前に濃いローズ色と淡いピンク色のバラの大きな花束を抱えて職員達が並んで立っている。おめでとうございますと云いながら楽しそうに笑いながら立っている。夢ではない。さまざまな言葉を綴った手紙もついている。嬉しい。涙が溢れてくる。あゝ今日は私の誕生日だったとまた思う。ふくいくとバラは薫り、心優しい幸せに深深と酔いしれる。
このバラの花を
あなたは、単に赤いバラと思うかしら?
このバラの花を
あなたは、単にピンクのバラと思うかしら?
このバラの花の囁きが
あなたに聞こえるかしら
このバラのため息を
あなたは感じるかしら
このバラの香りの、ほんとうの香りが
あなたに分かるかしら。
思わず、皆ありがとう! とつぶやく。声にならない声でつぶやく。
朝の青空も夕方には、どんよりと曇り始める。むしむしとして一雨欲しい。どんなことになっても輸血だけはしないで下さいという患者の置いて行ったパンフレットと小冊子を読む。宗教上の理由から輸血は受けられないし、そのために生命が絶たれようとも、それは自分自身に責任があるという一筆が書いてある。そのパンフレットと小冊子を読んではみたものの、咄嗟の場合そう出来る程冷静にして居れるものかしらと不安にもなる。
とうとう降り始めた。雨は私の不安を洗い落とすように隣家の屋根に勢いよく降っては流れて軒端から音高く滝のように落ちる。激しく降る雨音に周囲のざわめきが消えて、一人ぽっちのような錯覚をおぼえる。
ひと時が過ぎて嘘のように雨は止み、子等が帰って来た。ラグビーのジャージィーに着替えてすぐまた出て行く。この雨のあと泥にまみれて帰ってくるに違いない。ラグビーはやっていても、二人共口数の少ない遠慮がちな大人しすぎる男の子等である。
今日は小さな小さな私の世界の小さな或る日のことのおたよりをしたつもりです。
(S 53年7月)
弘前大学医学部産科婦人科学教室 同窓会誌 第26号 1978年10月発行
